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大阪地方裁判所 昭和29年(ヨ)3474号 決定

申請人 白石隆太郎 外一〇名

被申請人 清水建設株式会社 外一名

主文

一、申請人白石シズカ、白石隆太郎と被申請人との関係に於いて、同申請人等が保証として金拾万円を供託することを条件として、被申請人等は別紙〈省略〉目録記載の建物建築工事のうち右建物の東側の南北を見通す鉄骨の壁面線より西へ九尺の間隔をおいて右壁面線に平行する直線を基準とし、該直線より以東の部分であつて、その東南隅側に隣接する申請人白石シズカ所有家屋の西北端から北へ九尺延長した点において東西に亘る直線より以南の部分(別紙添付図面の朱線の部分)の建築工事を続行してはならない。

二、被申請人等は金参百万円を供託するときは、前項の仮処分決定の執行の停止又は執行処分の取消を求めることができる。

三、申請人倉田伊太郎、松山悦明、八木和三郎、池永イト、野口行男、宝塚写真工芸株式会社、宮井うめ子、森下雪、株式会社丸新と被申請人等との関係に於いて、同申請人等の本件仮処分申請は之を却下する。

理由

当事者双方の提出した疏明資料により当裁判所が一応認定した事実及び之に基く判断は次の通りである。

一、本件土地並土地に於ける工事と之をめぐる相隣関係について。

(1)  別紙目録記載の土地(以下本件土地と称する)は元宗教法人露天神社の所有に属し、所謂曽根崎心中の故地御初天神の境内地の一部であつて御堂筋に面し周辺と共に北大阪の繁華街を為していたものであるが、之を被申請人大映株式会社(以下大映と称する)に於いて昭和二十八年末ごろ映画館敷地として金一億八千九百万円で神社より買受けた上、被申請人清水建設株式会社(以下清水建設と称する)に右土地に於ける梅田大映劇場建築工事(鉄筋鉄骨コンクリート建地上四階地下一階、地上高さ七十一尺三寸、地下深さ二十一尺九寸、建坪二五七坪七一五、総坪数一、一〇一坪〇一九)を左記約定即ち(イ)工期、着手昭和二十九年十一月六日完成昭和三十年八月十日(ロ)検査及び引渡の時期、完成と同時(ハ)代金一億六千四百七十八万円、(ニ)代金支払方法、契約と同時に金二千万円、爾後毎月二十日現在出来高に対する八十%を月末に、工事完成引渡と同時に残金全額を支払う。(ホ)尚工事完成引渡迄は清水建設に於いて自己の費用で第三者に対する損害の防止に必要な施設をなし、工事施行のため第三者の財産等に損害を与え又は第三者との間に紛議を生じたときは清水建設に於いてその処理解決に当る等の約定で請負わしめると共に、清水建設は以上とは別に右工事に伴う隣接道路、隣接並に敷地内の公共配水管、瓦斯管、下水管、地中地上電線電柱、看板及び隣接家屋の各損傷復旧の補償並に隣接周辺に対する一般補償として大映より金三百万円を受領し、これら補償に関し一切その責に任ずることを大映に約したのである。

しかして昭和二十九年一月頃から二月にかけて同地上の十二戸の家屋が取払われた後、清水建設は大映との契約に基き同年八月頃その筋に申請して右敷地の南側に隣接するエンパイア通りの道路並に右敷地内の瓦斯管、送水管等の移管工事を為した上、同年十一月七日右建築工事の本工事に着手し、同日から同年十二月四日頃迄地下二十数尺に達するシートパイル(長さ約二十八、九尺幅約一尺四寸の鉄矢板)の打込作業を為し、傍ら地下深さ道路面より約二十二尺余に亘つて土地を掘さくすると共に湧水の排出作業を為して基礎工事を遂げ鉄骨の組合せ接合並びに地下外壁のコンクリート工事も終り目下コンクリート流込作業の準備を為しつゝある。

(2)  申請人白石シズカは本件土地の東南隅側約一、二尺を距てた箇所(曽根崎上二丁目九番地)に木造亜鉛葺二階建北向家屋建坪五、三坪二階坪五、三坪を所有し、同所に於いて御好焼業を営んでいる者、申請人白石隆太郎は右シズカの夫であつて同所に於いて易断業を営んでいる者、申請人倉田伊太郎は本件土地の北側幅約九尺の通路を距てた箇所(曽根崎上二丁目九番地)木造亜鉛葺平家建家屋建坪八、七坪を所有し、同所に於いて御好焼業を営んでいる者、申請人松山悦明は右家屋の内二坪を倉田から借受けて同所に於いてにぎりずし業を営んでいる者、申請人八木和一郎は前記白石所有家屋の東側に隣接した箇所(曽根崎上二丁目九番地)に在る木造亜鉛葺二階建家屋建坪三、一五坪二階坪三、一五坪に於いて焼売業を営んでいる者、申請人池永イトは右八木使用家屋の東側幅約二間の通路を距てた箇所(曽根崎上二丁目九番地)に在る木造瓦葺二階建家屋建坪五、四五坪二階坪五、四五坪に於いて、おでん業を営んでいる者、申請人野口行男は本件土地の東側の境内地約五、六間を距てた箇所(曽根崎上二丁目九番地)に在る木造トタン葺二階建家屋建坪二、四二坪二階坪二、四二坪に於いて御好焼業を営んでいる者、申請人宝塚写真工芸株式会社は本件土地の南側幅約二間のエンパイヤ通りを距てた箇所(曽根崎上二丁目四十一番地)に在る木造瓦葺平家建家屋建坪一五、四三坪の内四、九三坪の一戸に於いて写真の現像焼付引伸、及びプロマイド、額椽等の販売業を営んでいる者、申請人宮井うめ子は右家屋の内三坪の一戸に於いて焼鳥一品料理業を営んでいる者、申請人森下雪は右家屋の内七、五坪の一戸に於いて洋酒場業を営んでいる者、申請人株式会社丸新は前記池永使用家屋の南側エンパイヤ通りを距てた箇所(曽根崎上二丁目四十番地)に在る木造板葺二階建家屋建坪一七坪二階坪七、七坪に於いて旅館料理業を営んでいる者であつて、右各家屋の所有又は使用は何れも大映の本件土地買受以前から為されているものである。

(3)  本件土地並に周辺地域は清水建設による地質調査の結果道路面より十五尺は礫並に砂層、以下四十尺迄は灰砂(シルト混り細砂)、地下水は五尺より出るものと予想せられていたものであつて地下地盤が軟弱で地下水位が高いばかりでなく、本件工事は前掲請負契約で明かなように地下工事を伴い規模大きく長期に亘つて施行される所謂高層建築工事であつて、工事の諸作業自体近隣に多大の影響を及ぼしていることが窺われるのであるが、就中数十日に亘るシートパイルの打込作業は近隣に激しい震動を与え又地下二十二尺余の掘さくは周辺部土地より地下水の流出を誘致して東側及び北側の周辺地盤の沈下と亀裂を来たし、しかも右沈下は周辺部から工事現場に向い傾斜の度合を増しているので近隣の之により蒙むる影響は近接する程著しいものがある。

しかしてその状況は、申請人白石両名の家屋は本件工事が一、二尺の近距離で為されている為階下コンクリート床は南北に亘つて大きな亀裂を生じ戸障子も開閉に差支えている上に家屋全体が上方に於いて約一尺も西方に傾いてしまつて、之に居住することは生命身体の危虞を抱く程であり、営業に至つては到底継続を望み得べくもない。

申請人白石両名以外の申請人等の家屋は内一、二についてコンクリート床の亀裂や多少の沈下、戸障子の歪等を生じている外他にはさしたる損傷なく、居住使用に堪えない程のものとは為し難い。

二、建築工事禁止請求権の存否について。

本件は大映が自己の所有する土地に劇場を建築すべく、その工事を清水建設をして為さしめているものであつて、右工事は特段の事情がない限り、正当な権利の行使として何等差支えないわけである。併し乍ら、工事の施行が近隣に何等かの影響を及ぼすに於ては工事施行の態様、その影響等を考慮して工事施行の適否を判断しなければならないのであつて、もし工事のため隣接家屋を倒壊に瀕せしめ隣人の住居営業に極度の不安を招来し若しくは招来するおそれのある場合には、斯る隣人はその工事の禁止を求め適切な予防措置を講ずることを請求し得るものといわなければならない。このことは、仮令工事が高度の技術を以て為されていても、工事の為近隣に於いてかかる忍ぶに堪えない犠牲を強いられることが社会通念上許されないからである。寧ろ斯る場合は工事の着手前に周辺の第三者と折衝し、移転、金銭的補償、損傷の復旧、その他適切な方法により誠意ある事前解決の方途を講じておくのが至当であり、もし事前解決に至らないときは、工事そのものを自制し累を近隣に及ぼさないように努むべきものと解するのが相当である。

ところで、本件土地並に周辺地域は前記の如く地下地盤が軟弱で地下水位が道路面より僅か五尺という程に高く、且つ工事場附近に基礎比較的脆弱な日本家屋が存在しているのであつて、斯る環境の下で周辺家屋に近接してシートパイル打込作業、地下約二十二尺に達する地下掘さく作業を伴う長期大規模の高層建築工事を施行すれば、シートパイル打込の震動、地下掘さくによる周辺からの地下水の流出によつて周辺地域に相当の影響を及ぼすおそれのあることは十分に予測せられるところであり、しかも本件工事が殊に申請人白石の南北に細長い家屋の西側壁面線より僅か一尺余の間隔を距てて設計されていて、清水建設及び大映間の前記補償引受契約に際しても、清水建設は大映に提出した見積書に白石の家屋の復旧補償費として金八十万円を計上しており、更に清水建設は本件基礎工事のシートパイル打込作業直前に白石に対しその家屋の全面的撤去又は一時的移転を交渉(その不成立の点は後述)しているのである。これらの事情乃至事実に徴すれば、工事施行者の清水建設は勿論、施主として工事を指図する大映に於いても、かかる至近距離に於ける本件工事の施行が白石の家屋に甚大な影響の及ぶべきことを予測していたものというべきであり、たとい予測しなかつたとしても、その予測しなかつたことに重大な過失の存することは覆うべくもない。清水建設は工事の施行管理に万全の留意をなしたと主張するけれども、かかる至近距離に於いて前記工事をすること自体に斯る予測若は重過失が存するのであるから、その後の工事施行の過程に於いていかに高度の技術と周到の注意を用いたとしても、免責されないといわざるを得ない。

清水建設及び大映は事前解決の交渉が不首尾に終るや、かかる予測乃至重過失の下に本件工事を敢行したものであつて、本件工事によつて申請人白石両名については、その所有又は占有する家屋につき、前段認定の通り傾斜損傷は勿論之が居住使用にも著しい障害不安を来たしていて右は同申請人等に執り社会生活上到底本件工事の施行を忍ぶに堪えない程度に達しているものと做すを相当とすべく、本件工事が巨額の費用をかけていることの故を以て之を左右すべきものでない。従つて本件工事は同申請人等の家屋の所有権又は占有権を不法に妨害しているものと謂うべく、同申請人等は右権利に基き被申請人両名に対しかかる妨害を排除する為本件工事の禁止を求め得るものと謂わなければならない。

被申請人大映は本件工事の施行に基く近隣との紛議については挙げて請負人で且工事施行者たる清水建設に於いて処理解決に当る旨の前掲約定があるから、仮令前記申請人等に右認定のような妨害排除請求権があつても、清水建設に之を求むれば足るもので、大映を相手方として求めるのは失当であると主張するけれども、かかる約定は単に大映と清水建設との関係のみを律するに止まり、第三者たる上記申請人等を拘束する力はないから、注文者たる大映に於いてもその責を免れ得ないものと謂わなければならない。

被申請人清水建設はすでに地下防壁の完成によつて土砂の崩壊乃至誘発される諸危険も去つている現在に於いては白石の家屋の自然坐壊の危険こそあれ、工事の続行による被害の増大は予想されないから之を理由として直接工事禁止を求めることは権利濫用であると主張する。成程、白石の家屋の前記被害が主として至近距離に於けるシートパイル打込作業及び地下掘さく作業に基因するものであつて、すでにその作業も終り、鉄骨の組合せ、接合を経て地下外壁のコンクリート工事も終つていること、白石の傾斜家屋に対し、清水建設に於いてその外延より倒壊の危険予防措置をとり、更に作業場の周囲全部を金網を以て掩包し、足場、支柱その他の建築資材等の飛散の防止に努めていることが窺われるけれども、工事の続行による被害の増大が絶無であることを認め得る適確な資料なきのみならず現に本件工事が一体として一連の作業を以て進行している以上妨害乃至妨害の危険性は依然継続しているものとみるのが相当である。加之、白石はシートパイル打込作業中すでに清水建設に異議を述べ、直ちに本件仮処分による権利保護を求めているに拘らず、一方清水建設及び大映に於いてはかゝる違法工事を継続敢行し、他方白石に於いては、かゝる一連の違法工事によつて招来された極度の不安状態が解消されることなしに将来も工事が続行され建物の竣工するまで隣人として拱手傍観するの外ないものとすることは、到底吾人の社会的法感情に訴えて容認し難いところであつて、このような場合には、工事の施主及び施行者側に於いて将来かゝる工事を禁止せられることあるべき危険を負担してなしているものというべきであつて、白石としては、建築工事の現段階に於いては、かゝる工事の禁止を求めることができるものといわなければならない。従つて、被申請人の右権利濫用の主張は採用し難い。

更に被申請人清水建設は白石に対し事前に家屋の修理補償の申入をなしたが、その申入を拒絶し、又被害発生後その損害の防止につき補強修理の措置を講ずることを申出たに拘らず、これを峻拒しておき乍ら、工事禁止を求めるのは権利の濫用であると主張する。この点に関し、清水建設がシートパイル打込作業の直前に白石に対しその家屋の全面的撤去を交渉し、これに対する補償として金百万円の供与を申出たのに対し、白石側が当初金七百万円を要求したこと、又工事期間(昭和二十九年十一月より同三十年八月まで)中の一時的退去を交渉し、その間の営業生活補償として金五十万円及び工事完了後の原状修復を申出たことが認められる。併し乍ら、右全面的撤去に対する補償として白石側が当初要求した金七百万円は、いささか高額に過ぎる嫌いがないでもないとはいえ、白石側において数回の交渉にこれを固執したわけでもなく、又清水建設の申出た金百万円の額は、本件工事の敷地上の取払われた十二戸の撤去補償費として買収費一億八千九百万円の中から相当多額の金が供与されているのに比し、撤去の点で同一条件であり乍ら、格段の相違が窺われるのであり、又一時的退去の補償費五十万円の点は本件土地周辺の繁華街に占むる商人に対する約十ケ月の営業生活補償費としては必ずしも十分とは断じかねるものであり、他面清水建設としても右補償の交渉につき、大映との前掲補償引受契約等による工事予算に制約されてそれ以上譲歩しなかつたのであるが、本件工事現場の西側に近接して御堂筋歩道緑地帯に存していた市警巡査派出所(交番)については露天神社及び申請人倉田の諒解を得て、清水建設に於いて同申請人の本家に該る所へ新築移転することを厭わなかつた事実に徴すれば、白石との補償問題についても更に譲歩すべき余地のあつたことが窺われる。従つて、白石が清水建設の右各申出を拒絶したからといつて、強ち相隣者間の協調の精神に欠け貧慾に走るものとはいえない。更に前記違法工事による被害発生後に於いて白石が清水建設の修理補強を拒んだからといつて、白石の工事禁止請求が権利濫用となる道理もない。

次に申請人白石両名を除くその他の申請人等についてはその家屋の損傷は殆ど看るべきものなきか又あつても程度比較的軽少で之が使用に堪えないものとは認め難いところであつて、かゝる損傷は近隣者としてその忍容の度を超えるものであるとしても、この程度の損傷は直接に妨害の排除としての工事禁止を求める程度に達していないものと認めるのが相当であるから、本件申請は理由なきものと謂わざるを得ない。尤もこれら家屋の損傷の外本件工事の為右申請人等がその営業面等に於いて顧客の出入の減少や取引の不円滑等を来たし多少の打撃を受けることは窺うに難くないが、これらについては損害賠償の途もあるのであつて、この理由を以ては本件申請を容れるわけにいかない。

三、仮処分の必要及び程度について。

申請人白石両名は本件工事によつて前段認定のような被害を蒙つているのであつて之を解決せんとする双方屡次の折衝もその効なく一方工事は進行して右申請人等は日夜拱手傍観する外他に途なき状態にあることが認められるからその現在の危難を避ける為、被申請人等に対し右工事の禁止を求める緊急の必要が存することは明白である。そしてその工事禁止の範囲は、白石の家屋に傾斜損傷を招来し、将来もその危険性を帯びるものと通常思料される工事区域部分即ち主文第一項記載の部分の工事の続行を禁止するを以て足ると認める。

四、結論

以上の次第で、申請人白石両名と被申請人等との関係に於いては本件申請は理由があるから同申請人等が保証として金拾万円を供託することを条件として本件工事の右部分の続行を禁止する。

しかして、申請人白石両名が本件件工事による妨害を排除する為有する本件建築工事禁止請求権は右申請人等がその居住の平穏を脅され生命身体の危虞さえ抱くに至つていることを考えると単なる金銭的補償を以て之に換えて足りるものと断じ去り難いものがあるが、その家屋の損傷等は既に使用に堪え難い状態に達して修改築の外なき上に、右妨害を為す本件工事が隣地たる大映の所有地に於いて為されていてしかも相当程度進捗している現段階にあつては右妨害が依然継続しているとはいえ、所詮その終局に於いては金銭的補償を得ることにより目的を達し得るものと謂うべきのみならず他方被申請人等に於いては本件工事に既に数千万円の費用を投じていて右工事が禁止されるときは莫大な損害を蒙むり到底堪え得るところでないことが認められるに比し、申請人白石両名に於いては数百万円程度の補償を得れば全面的撤去をも厭わないことも窺われるから、右は民事訴訟法第七百五十九条に所謂特別事情に該当するものと謂うべく、従つて、民事訴訟法第七百五十六条により同法第七百四十三条を準用し、本件仮処分決定についてその執行を免れることを得させるため供託すべき金額を記載しその額を金三百万円とするのが相当であると認める。

次に申請人白石両名を除くその他の申請人等と被申請人等との関係に於いては本件申請は理由がないから之を却下すべきものとする。

よつて主文の通り決定する。

(裁判官 坂速雄 木下忠良 岡村旦)

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